90年代の「死」の匂い:GON!、人体展、エヴァ、ねこぢる、自殺マニュアル
1992年に中学に入ったりすると、それまで地域で守られた小学校生活と違って、生々しく社会と交流していくわけじゃないですか。
手に入る情報もグッとリアルなものになって、やれ友達がゲーセンでチーマーに金取られただの、やれ雑誌に死体の写真があるだの、セックスだバイオレンスだってなっていくわけじゃないですか。
そんな折に湾岸戦争だとかサリン事件だとか、はたまた完全自殺マニュアルだの、人体の不思議展だとかいって人体の輪切りが展示されたりするじゃないですか。
当時サブカル的な扱い方ってのが元気だったせいもあって、ちょっとアングラな情報に手を出そうと思えばいくらでも入る雰囲気があったじゃないですか。
そのきっかけになるものがそこらじゅうに転がっていたというか。
前回の記事で取り上げたブルセラ雑誌も実際にそういう需要と共有が実存してたわけで、雑誌の後ろの方にそういう実録ビデオが通販広告されていたり、渋谷で目の前で女の子が下着を脱いで売ってくれる店の案内とかも出てた記憶が。
悪趣味なものをネタ的に入手して友達にまわすやつとかいて、危ない1号だのウンゲロミミズだの目を背けたくなるようなものがあったりして、好奇心もあるけどぎりぎり「なんか怖い」って所で踏みとどまったりするじゃないですか手に取るのを。
この辺り、散々色んな所で取り上げられてると思うので詳細省きますが、その当時大人だった作り手と、受け手だったうちの青少年だったグループに属してた私としては「随分風紀が乱れてるな」って感じでした。
というのも、そういうもの達、全体に共通するのが「死」っていう要素だったと思うんですよ。神戸の首切り事件もエヴァもねこぢるも、そういうサブカル的な楽しみができる友人たちはキャッキャしてましたけど、でもそれってサブカル的な見方を一枚はいでみれば普通に「死」そのものなわけだし、血の匂いがして畏怖の念的に一歩引いて見てました。
ただし、「GON!」っていうミリオン出版が出してた薄い雑誌は買ってたんですよね。その後実話ナックルズになった母体だったわけですが。
きっかけは何かしらの日雇いバイトの休憩時間にそれが置いてあり、なんだろうと見てたら面白く、持っていっていいよというので帰ってじっくり読んだら、いわゆる裏社会的な嘘かホントか分からないものをサブカル的にマイルドに分かりやすく描写していたのですよね。
それで本屋で見たら買うってやってたんですが、段々ネタ切れ感が出てきたというか。結構濃いテーマを最初の内に立て続けに取り上げてたのでしょうがないかもしれないですが、でも廃墟とか絶版ジュースを解説したりだとか、バナナの皮の筋で何とかトリップしようとしたりとか、見世物小屋、合法ハーブ、インド、死体、心霊スポットetc、かなり無駄に影響受けました。
今思うと、こういう深堀した雑誌のうち、オタク・秋葉寄りのものもあったはずなのでそっちも手に取ってれば...と後悔しきりですが、とりあえず「死」の方のサブカルは実体験できたのでそれはそれで貴重な体験として思い出されます。
続・お菓子系ブルセラ雑誌をコンビニで毎月買う
1992年に中学に入学した者として、前回クリームなどお菓子系雑誌について書かせていただいたわけじゃないですか。
で、誌面を彩った方々というのはある種のファンタジックな存在に当時の自分からは見えていたのですが、こうして時が過ぎると
「どなたもやはり現実にいらっしゃる一個人なのであり、当たり前にそれぞれの人生のある一シーンで誌面に登場したのであられるのである」
という事実に無駄に直面するわけじゃないですか。
浅川千裕さんを何となくググったら今は普通にお母さんとして生活なさってるのを見て、それを強く思ったのですよね。
なので、ざっと当時買ってた時期に登場されてて「あーこの人の名前見覚えある。顔が思い浮かぶわ」って方々について検索してみて、その結果を私の勝手な思い出とともに下記レポートさせていただきます。
割と消息不明と思いきやそうでもないという方もいらっしゃって、何か感慨深いです。
なにせ1992年ごろっていうと、もうざっくり30年前なのですから...
では、以下見ていきたいと思います(敬称略)。
相川みさお
クリームと言えばこのお方というイメージ。1979年生まれという事で私、同級生だったのですね。ちょっと年上かと。2005年、ご成婚で芸能界引退。クラスの綺麗な子、って感じでした。
クリーム買い始めた時の看板娘的って感じで2個上ですね。芸能活動結構続けてらっしゃってライブやら舞台やら。ブログ最終更新日が2010年。。。と思いきや他のブログの更新が2020年、でよく見たらツイッターもインスタもばりばり現役で続けてらっしゃいました。お元気そうでなにより。
江沢典予
やはり表紙でよく見たイメージ。活動情報が断片的に。当時写真集を、あとイメージビデオをVHSでリリースされてた事から人気があったのが伺えます。あと2000年の酒井若菜さん主演の映画にも出演されていたっぽい。とあるフォトグラファーのお方のホームページに2001年の撮影会の様子も確認されました。ついでに、同人写真集としてCDでのリリースもありやした。
北島美穂
読者からも制作側からも好かれていたイメージ。2002年に240分丸ごと北島美穂っていうイメージDVD出てました。その他、写真集やイメージビデオ多数。桃鉄Xのイメージガールって情報も。2002年でスパッと辞めたっぽいですね。2004年の2chスレッドにも「今何してんの?」って書き込みありましたし。個人的に2007年頃?今どうしてるんだろうって検索したら微妙な際どい同人写真会員サイトみたいのでサンプルあった気が。
水咲れの
スタイル抜群で普通に推してました。クリームはブルマ姿よくありましたけどブルマって何がいいんだ?と思ってましたが彼女の姿で理解しました。腰回りのエロスですよねあれは。クリーム選抜メンバーによる写真集みたいのもメインの一人でしたがどうもそのままスパッと辞めたっぽい。名前の由来は「レオン」のジャンレノから、って情報あり。
中村聖奈
このお方もほぼタメなんですね。登場時は「久しぶりにめちゃくちゃかわいい子が出てきたな」って感じでした。美形というコケティッシュというか。ちょっとヤンキーっぽくて。写真集多数。名前も何度か変更。で何やら公式ブログが2006年くらいまであって、その時はもう本当にそこらへんのケバいおねーちゃんになってたのがリアル。バイトで歯医者さんで働いてたとか。
お姉さんっぽい超ド級美人で、イメビ写真集多数で、やや際どい感じでしたがそこでとどまって引退って感じっぽいですね。確かお胸露出くらいまでいっててそれ見かけた時はちょっとした感動した記憶が。
藤崎弥代
正直一番かわいいなって思ってたふしがあります。西欧風のタヌキ顔でちょっとぽちゃっとしつつ割と脱いでくれてて。メイン張れるポテンシャルで写真集とイメビもあったっぽいですね。ググるとしばらくグラビア活動続けて名古屋のキャバで勤務してたとか。
江東夕貴
この子もかなり推してて、小さいのに足が太い茶髪ショートカットのネコ顔で露出多めっていうコンボ。このお方もメイン張れるし写真集も出てるしもっと活動できたはずですけどポージングがブルセラ色強くて諸々で引退って感じですかね。
星野いづみ
登場した時は「こんな美少女って存在するんだ」って本当にびっくりしましたし、その後ヌードからAVいかれてたってのは後年知って「マジかよ」って膝から崩れ落ちましたね。ただやはり登場時のきらめきっていうのは登場時のグラビアにのみ宿っていたので、あれはカメラマンの腕によるものなのかも知れません。桂正和の漫画から出てきたみたいなお顔立ちが本当にレジェンドだと思います。
以下、次回に続きます。
萩原美奈子
島田真実佳
前園友香
中里桃子
坂倉由里子
佐藤えつこ
お菓子系ブルセラ雑誌をコンビニで毎月買う
1992年に中学に入学した者として、性の目覚めで一番落ち着くのってやっぱりパンチラとかじゃないですか。ちょうどブルセラみたいな社会現象が起こってクリームとかお菓子系グラビア雑誌がコンビニに並ぶともう入手するのは自然の帰結なわけじゃないですか。
という事で毎月欠かさず買っていくわけです。クリーム以外にホイップとかワッフルとかあったんですが、やっぱりクリームが正統派ってイメージがあって。
今思うとやっぱり女の子をエロくっていうより、かわいく扱ってたと思うんですよ。他の雑誌はちょっと雑っていうか、エロ本作ってるノリが出てるというか。
中坊の我々からすると女の子っていうのはある種神秘的な存在なので、できるだけ肉感的な感じよりファンタジックに2次元的に表現してもらった方がスッと受け入れられるんですよね。この辺りやはり押切蓮介さんのピコピコ少年で「アニメ絵の方がスッといける」的描写あって、すごい分かるって感じ。
で、クリームがプッシュする子ってどうも好きになれず、一回こっきり登場した子をまた出ないかな...と心待ちにしてると結構たまに出たりする。しばらく後ですが中古本屋で安く入手した他誌にその自分推しの子が出てたのを知ったりすると「当時知りたかったわ~」という気持ちが芽生えるわけですよね。福満しげゆき氏が当時エロ本集めまくってたって描写にすごいシンパシー。
かなりマイナーな話題なので、私がどの子を推してたかはもう名前の羅列とします。
藤崎弥代、中里桃子、江東夕貴、水咲れの・・・この辺りは複数回登場してたというかわりとメジャー寄りですよね。
次に、大谷未沙、星羅みゆき・・・ここらがマイナーかつちょっとブルセラ色が強くてあんまり登場してないけど、他誌で出てたりした。エロ漫画雑誌には珍しい巻頭グラビアみたいのに大谷さん出てたのたまたま見つけた時は本当に嬉しかったです。
あとちょうど何かの動画配信みたいのも2000年代初頭とかちらほらあったじゃないですか。その時も何か大谷さんの動画を入手した記憶もあります。
あとは1995年頃だったか、基本清純路線なグラビアの中に「スーパールーズなソックス&パンティ」って結構ちゃんとエロいコーナーが出て、その時出た人ほとんど「いいやん」ってなりました。その後登場しなかったですが・・・ちょうどルーズソックスが世に出た頃で、その前のクリームはめっちゃ短い靴下だったりして「早くルーズソックス取り入れてくれないとエロくないじゃん」って思った時に登場したのでかなり溜飲が下がった記憶が。
何かの記念なので、名前羅列させていただきます。
川野亜希子、村越みか、奥津瞳、大橋あや、沢田美奈子、栗原綾子、榎本明美、佐木あすみ(敬称略)
当時の自分の年齢を考えると彼女らはちょっと年上のお姉さんだったのですよね。「ちょっと年上のお姉さんがエッチなポーズをしてくれる」という性少年にとっては夢のシチュエーションでもあると思うのですが、当時自分の友達やらそんなに友達でもない人達に聞いても「そんな雑誌知らない」と口を揃えていうので本当になぜなんだと思ってました。
うちに遊びに来た友達に見せても「お前こんなの見て何が面白いんだ?」とかなり不思議がられたり。パンチラの「見えそうで見えない、いや見えないからいい。むしろガッツリ見せないでほしい」という主義は本当に自分の根の深い所に刻まれたわけです。
という事で、こういう「かなり微量なエロス」趣味は脈々と自分一人で進めていくこととなり、最終的に怪しげなエロDVDばかりを扱う雑居ビルの店に足を踏み入れていくことになるのですがそれはまたの機会に記そうと思います。
なお、唯一メジャーなのに「このお姉さんいいやん」と思ったのは北島美穂さんです。結構活動も写真集とかその他色々やってた記憶があって、弾ける笑顔とむちむちのスタイルの良さという事で結構好きでした。
クリーム自体どれくらい買ってたんですかね。とりあえず5、6年は買い続けてたと思います。さすがに机の下には置ききれず、机の収納棚とかにぎっしりクリーム(とパソパラやらペンギンクラブやら)を保有するという状態で過ごしてました。
ちなみに今改めて色々ググったら当時表紙よく飾ってた浅川千裕さんはいまや綺麗な二児のお母さんになってたりして時の流れガッツリ感じました。
スーパーの二階にある格ゲー筐体
1992年に中学入るとスト2が上手いと一目置かれるじゃないですか。
私は中学入学前から最寄り駅前のゲーセンでメダルゲームに興じてたのがきっかけでスト2ある程度遊んでたので、中学入って周りとゲーセン行ったらそこそこ無双してたんですよね。
といっても波動拳が出せる、昇竜拳は前に歩きながらコマンド入力でたまに出せる、レベルですが。ガチでゲーセンに通ってるやや不良側の人は更に上のレベルとかでガイルとかあのロシアのプロレスのおっちゃんとか使いこなしてたりしてて歯が立たないわけですが。
んで、学校が小田急線沿いで新宿方面に帰る人だと下北沢で遊ぶじゃないですか。当時の下北ってマックのある通り沿いに一個ゲーセンがあって、その道じゃなくて駅前の回転寿司の右側の小道行くとスーパーがあって、そこの2階に何故かスト2筐体があったのですよ。(ググったら忠実屋っていう名前のスーパーでした。確かにそんな名前だった気がする)
普通のゲーセン行くと上手なお兄ちゃんとかがガチでやってたりするので、ひよっこな我々はそのスーパーでぬるく遊んでたわけです。
部活の先輩の仲良くなった中3の人も下北が地元だっていうんで一緒にやりにいったり、たまに普通のゲーセンの方に行って脱衣麻雀を後ろからみたりと、当時のゲーセン文化は押切蓮介さんのピコピコ少年に描かれてる通り、めちゃくちゃ盛り上がってたじゃないですか。
ずっとああいうゲーセン文化が続くと思ってましたけどすっかり様変わりしちゃいましたよね...
そしていつもの通り、ちゃんとゲーセン文化に染まっていればそっからオタク文化へも入っていけたはずなのに当時の私は「スト2たのしい」くらいしか入り込めなかったんですよね。
その後もバーチャファイターとか鉄拳2とかもちょろっとやりましたけど、とにかく上手くなるまでが大変でそこまでやってられへんって感じでした。麻雀はその後リアルでも遊ぶようになりましたけど。
中学のちょっと不良と付き合いのあるやつとかとたまにゲーセン一緒に行くとガイルで真空投げとか試みて、ついに成功したりするのを目の当たりにしたりしますよね。あとそういうやつってやたら金遣い荒かったり。
あとはほどなくスーファミ、スト2ダッシュ、その他格ゲーとか色々入り乱れていって次第に行かなくなるわけですが、90年代のゲーセン文化、身をもって多感な時期に体験できて決して無駄じゃなかったと思う次第です。
エロ漫画雑誌をコンビニで買う
1992年(平成2年とか)に中学入って、同級生とかから色んなエロ情報が出回ってくるじゃないですか。いけないルナ先生とか、校内写生(遊人)とか。
でもあくまでそれらって「漫画としてのエロ」っていうか物語の中にエロさがあるっていう感じなわけで、「エロとしての漫画」っていうか、とにかく話はどうでもよくてとにかくエロい、ってのになるとフランス書院になるわけじゃないですか。
で、本屋でフランス書院のコーナーに「大人じゃないからあんまりガッツリ見れない」っていう中坊とかがチラチラ本のタイトルだけで「これにしてみよう!」って意を決してレジでお会計してもらうわけじゃないですか。
でも当たり外れが多いっていうか、何か微妙に古い年代の作品だったりして「なんかこれじゃない...!」ってガッカリするわけですよね。今思うとそういう系のってほんとに70年代とかの劇画っぽいやつの流れだったと思うんですけど。
で、ようやく「エロ漫画の専門誌」に出会うわけですよね。私の場合は、友達が「これもういらない」ってくれた「アットーテキ」だったのですが。表紙は「ま☆くわ」先生。ググると道満晴明さん、町田変丸さんとかが読者投稿ページからデビューしていったとか。
これを手に取ったのが1993, 1994年ごろで、絵柄とか一応新しい、今っぽい感じがしたのですよね。少なくとも劇画調じゃないのでしっくりくる。今見るとばりばり90年代ですね。
プロトンザウルス先生、あらきあきら先生とかは、絵柄かわいかった。
今っぽい絵でとにかくただただエロを提供してくれるちょっと分厚い雑誌。読者投稿ページとか何か細かい文字で埋め尽くされてる感じが何となく「自分もこんな本読むようになったか」みたいに思いました。
内容はかなりソフトで、描写もエグくない。その当時のコミケ同人誌とかもきっとそれくらいで、エロ漫画時代がそういう「ちょっと前に吾妻ひでおとかが切り開いた記号化されたロリコン漫画と、内山亜紀が切り開いたある種のファンタジーとしてのエロ」みたいのの揺り戻しっていうか、それらを四捨五入して平均化したような「ゾーン」みたいのがあって、そういうゾーン感が作品群の根底に共通してあった気がします。
ただ、なかなか本屋で売ってるの見た事なかったんですよね。特殊な本屋には並んでたのでしょうが、中学生にとってはコンビニの成人コーナーの方が全然日常で目に入るわけでして。
そういう理由でリアル系としてクリームとかのお菓子系雑誌と、あとはペンギンクラブとかのエロ漫画雑誌の二本立てで、その後よく買っていく布陣が完成したわけです。
ペンギンクラブの出版は元々は辰巳出版さんで、改めてググってみると出してる雑誌が扱ってるテーマは、釣り、パチンコパチスロ、PCゲーム、美少女コミック、犬猫、自転車、ナンプレ、声優、特撮、プロレス、エロ小説、エロアニメ、etc。
悪い意味じゃなく、コンビニとかで手軽に手に取れて、サッと読んで読み捨てできる系を網羅してるっていうか、そういう「ちょっとした休憩時間に楽しめる」みたいな、そういうメインでもサブカルでもないけど、需要は必ずあるものにスポットを当ててる感がかっこいい。
で、ペンギンクラブでどの作家推しだったかというと、ちゃたろー先生、みやもと留美先生とかです。コミックス買いましたし。わたなべよしまささんとか、まいなぁぼぉいさんとか「自分にはまだちょっと早いな」っていう世界観の作品も嫌いじゃなかったですがちょっと早かったです。
表紙が飛龍乱さんだったのは正解だったと思います。かわいいし手に取りやすいし綺麗だった。
この辺、もっとちゃんと色々掘っていけばコミケとかに辿り着いてちゃんとオタク文化に入っていけたのに、当時の私はとにかく「エロい漫画読みたい」ってだけだったので後悔しきりです。
ちなみにペンギンクラブ以外にも、色々あったその他雑誌もほんと何のこだわりもなく買ってました。コミックジャンボ、コミックドルフィン、レモンピープル、キャンディータイム、ピザッツ(かたせ湘先生かなり好きでした。めっちゃむっちりしてて)...
こづかいの中から買ってましたから勿論数は少ないのですが、今改めてググるとほんとたくさんの雑誌や作品があったわけで、改めて中古のを買って読み倒したい気持ちめっちゃ強いです。
今思うと、描かれる女の子がエッチかつかわいいんですよね。かわいい女の子を山ほど見ていたい、って気持ちがある限りエロ漫画は永遠なのだと思います。
うる星やつらのビデオを延々とレンタルする
1992年に中学に入った者的には、身近な高橋留美子作品はうる星やつらよりらんま1/2だったと思います。
うる星は薄っすらアニメを見た記憶がある、あるいは上の兄弟がいればコミックスがうちにあったので読んだ事がある、くらいの「上の世代のもの」感が若干あったと思います。
長じて1998年頃、渋谷のまんだらけだかで古いアニメ雑誌を手に取ってみたら、うる星のムックだかがあってそのラムちゃんがやたらかわいかったのですよね。
ちょっとした恋心を抱いていたところに、下北沢とかに当時中古CD屋(ドラマという店名の)とかがあって、音楽自体は普通に聞いてたので訪れた際に、うる星やつらテーマソング集みたいのがあってちょっとドキドキしながら買ってみたのです。
そしたら普通に名曲揃いで、のちに知りますが小林泉美とか普通に天才が関わってたりして一気にハマりムックも買ってそんでこらアニメも見なあかんとなってさっそく新宿ツタヤとかで、当時まだビデオだったので一本ずつ借りてみていったわけです。
が、アニメも平野文さんをはじめとした名優たちの演技でめっちゃ面白いけどビデオで一本ずつ消化していくの普通に時間もお金も途方もなくかかるもんで...割と早い段階で主要な作品(「君去りし後」とか「どきどきサマーデート」とか)を見て、一旦区切りをつけました。
曲はめちゃくちゃ良い、原作漫画も面白い、アニメもアニメの良さがガッツリある、って事で「アニメって面白いんだなあ」って純粋に思い知った次第です。
その後00年代前半とかで自分のパソコンで色んなホームページを巡った時も、上の世代のファンたちがいまだに熱くうる星やつらを応援してる様を見たりして「そりゃあんだけ面白ければ尾を引くよなあ」って思ったりもしました。
ひらすらうる星のみのイラストを描かれている方、テレホンカードとかマイナーすぎるグッズまで幅広く集めているお方、普段パチンコしないのにCRうる星やつらが出た時はパチンコしに行ってその演出に一喜一憂するお方など、どれもこれも「なんか分かる」って感じで眺めておりました。
エロ同人とかもうる星系のを見た事もありますが、何か違うんですよね。ラムちゃんの場合はエロとかより「かわいい」「面白い」ってのが先に来て、そこでエロ求めるかねえってわたしの場合思ってしまう半面、あの半裸の衣装はかなり根深いものを当時のファンの胸に刻み込んだのは深く納得ができる所でもあります。
やはり異星人というか、外国人っていう文化も見た目も違う魅力的な存在が好いてくる、っていうのは言葉にしがたい高揚感があるのはわたしが日本という国に育ったから、とも言えるような気がします。
いまだにラムちゃん全然かわいいなと思いつつ...
西川魯介を探しにとらのあな新宿店へ
1999年~2000年ごろ、ペンギンクラブとかのエッチな漫画雑誌をよく買っていて読んでいたら「なんてエッチな漫画なんだ!!」と度肝を抜かれました。
それが西川魯介さんの「ラブ装填☆電動ファイター(装填は「こめ」と読む)」で、ボクっ娘がショタにほっぺにキスされただけでイってしまう回でして。
紙面の他の作品はもっとアダルトで直接的な表現が多かったのですが、まさかほっぺにキスでイくなんて...と衝撃を受け、調べてみると西川さんはすでにフェチ系のディープでやや文学的な香りのする作品を発表しまくっているという、ややサブカル寄りの作家さんだと判明したのです。
こうしちゃいられない、単行本を入手してもっとエッチな表現を見なくては!という事で、掲載誌からして一般誌ではないし普通の本屋では売ってないと判断して大型書店をいくつか回ったのですが見当たらない。
当時エッチな本、ビデオなどを売ってる書店にもよく行ってたのでそちらを巡ってみても見当たらないという状況でして。
そうだとらのあなやまんだらけなら...!ということで新宿の西口にその存在だけは知っていたものの足を踏み入れた事のなかった店舗に向かったのです。当時もまだオタク文化に染まり切れてなかった者として結構どきどきして行った記憶があります。
狭苦しいスペースに所狭しと本棚とエッチな漫画ばかりがぎゅうぎゅうに詰まった場所にいかにもオタクな方々がひしめき合っているという、そういう空間で人と人の間をぬって探してようやく西川漫画を発見しました。
ついでに他の単行本(「屈折リーベ」、「SF/フェチ・スナッチャー」など)をゲット。
読んでみるとエッチでかわいい絵柄のみならず造詣の深さが面白い作家さんだと知り、その後も氏の作品を買い続ける事に。
ともあれエッチさのインパクトではやはり上述のボクっ娘(真琴ちゃん)がほっぺでイくシーンが最高のものだと分かりました。他にも結構エッチシーン多かったんですが...
ともあれボーイッシュキャラのエッチさに目覚めたのは西川漫画のせいです。
そして収穫としては「とらのあなとかには普段手に入らない本が手に入る」という経験で、その後もたまに覗くようになった次第です。
ファミ通から踏み入れたエロゲー/パソパラの世界
1990年に小5だった者として当時手に入るエロいものって
①ジャンプとか、②深夜番組、③エロ本(捨ててある、自動販売機でゲットする、アニキがいる人のうちに行って見せてもらう)
とかだったんですが、私はファミ通を購読していたので④パソコンゲームのエッチな画像が紹介されている、という筋がありました。
確か1990年頃に、そういうアダルトゲームのエッチなグラフィックのみを収録したおまけ冊子みたいのがついてた号がありまして、「大人になるとこんなゲームができるんだ」と夢の世界を垣間見たような気がしました。
で、中学に入ると本屋の片隅にそういうエロコーナーがあってチラ見するじゃないですか。
そうするとあの日見たアダルトゲームばかりを紹介してる雑誌があって「宝だ...!」とばかりに、そういうエロ系は気兼ねなく購入できる怪しいオッサンがやってる本屋で早速入手したのが「パソコンパラダイス」通称パソパラでした。
ググると、1991年創刊、日本初のアダルトゲーム専門誌(メディアックス刊)。今知りましたが2008年の経営統合後、恐らく失速したらしく2014年休刊との事。
この事からやはり90年代前半は黎明期~ピークだったと分かります。
私はだいぶ買い込んでたのですが、純粋に「エロいものが見たい」っていう気持ちからでメーカーとかそういう情報を当時は掘れず、また自分のパソコンを入手したのが2000年以降という事もあり、ここでもオタクの道に入れなかったという悔やまれる分岐点があった次第です。
思い返すと触手とかそういう類のいかにもな要素もあったはずなんですが、とにかく女の子がエロいかどうかでしか見れませんでした。
こんな総集編とかあったの知らなかったですが、今見てもこういう絵柄はときめきますね。
類似誌として「メガストア」ってのもありましたね。こっちの方が結構大味な編集だった記憶。
当時目にした「これエッチじゃん」って未だに記憶に残ってるゲームタイトルは以下です。
・ドラゴンナイト エルフ
多分3か4です。今は会社がなくなってるみたいです。同級生もこちらだったのですね。
・野々村病院の人々 シルキーズ
こちらはエルフの姉妹ブランド。ゲームシステムとかは当時まったく興味無く。話もなんか暗いなってだけで何がなんだか。とにかく絵がエロいって思ったのみ。ゲーム自体が面白いと思えれば別のハマりかたもあったのかな...
・遺作 エルフ
なんか絵が似てるな~というか、当時この絵が一番最先端なイメージ。鬼畜系の先駆けとの事。続編で臭作ってのもありましたね。エロいけど、あんまり女の子をいじめる系の話は好きじゃないけど、でもエロいなこれ、みたいに思ってました。
あとは、もうググりまくらないと思い出せない感じです。
どこが作ったなんてゲームかとかより「この絵エロいやん」しか見てなかったので...
で、アニメとかもそうですが90年代の絵柄ってクセが強いじゃないですか。しかもそういう絵柄もすごいスピードで進化していった感じがあるので、数年前のパソパラとかを開いても、これもうなんかエロくない、って段々興味を失った次第です。
「負けるな!魔剣道」の太もも
1993年発売のスーファミソフト「負けるな!魔剣道」のジャケットを当時読んでいたファミ通で見ただかした瞬間、どんなゲームか知らんがとにかく買おうと決めました。
なぜならジャケットの主人公とおぼしきキャラクターがめちゃめちゃかわいかったし、太ももがめちゃめちゃいやらしかったからです。
買ってやってみたらPCエンジンのベラボーマンよりつまらないやん...ってなった記憶が
あります。
が、この太ももに非常に悩ましい気持ちを抱かされて二次元キャラクターに恋をしてしまったかの様な心持ちを抱えてしばらく過ごしてました。いまだに太ももが若干太目な女性がとにかく大好き、っていう趣向を植え付けられた気がします。
いやその前からかぼちゃワインのエルちゃんとかが...(別稿で語りたいです)。
むっちりしたキャラが得意みたいで90年代の脱衣麻雀ゲームのキャラデザを多数手がけたレジェンドっぽい。
更にググるとBEEPさんというレトロPC・ゲーム専門店さんが発行されてる情報誌EXTRA mag.#3にてANO清水さんのロングインタビューが掲載されているらしい...!
このBEEPさんもめっちゃ面白そうなお店なのであとでじっくり見てみたい。
んで、確か何かのゲームキャラを題材にした雑誌からコミカライズされて読んだ記憶があるのですが「全然こんなんじゃない...」となったし、その後2も出たんですが絵柄が違うしなんか身体が細くなっててこんなんじゃないんだ...!太ももが太くないと...!と思ってました。
ググったらその雑誌はホビージャパン発行の「コミックマスター」なるアンソロジーコミックスとの事。90年代って色んな雑誌がありましたよね...これも別稿で掘りたいです。
ついでにドラマCDだかがついてて、CVが三石琴乃さんだったんですよね。
昔あったシングルのサイズの小さいCDを何かいけないものを聞くかの様にこそこそ聞いたのを覚えています。そして、「なんだこれ...こんなんより太ももをもっと見たいよ...!」ってそのおまけCDのジャケットの主人公キャラを眺めながら「かわいい...えっちだ...」って思ってた次第です。
んで、三石さんといえばセーラームーン、エヴァとかで主要キャラを演じてて、もしここでちゃんとハマれてればガッツリオタクの道にいけたのに...とくやしい限りです。
そういう意味では声より太い太ももの方が思春期のハートを掴んだのかな...いやでもコミカライズ作品がもっと太ましいキャラを描いていたら...などと思う次第です。
椎名へきるさんのコンサートのバイトをした記憶
1996年だったはず。
高2だった私は友達と日雇い派遣バイトみたいのに登録してあっちこっちその日限りのイベントの手伝いみたいのをやってました。
んで、その日は椎名へきるさんのコンサート会場で、チケットもぎりだかバラシ(設備の片づけとか)をやるっていうのがあって友達と行ったのです。
どこだったか、何か遊園地の会場だった気がします。
当時彼女の名前は何となく知ってました。が、「何かのアニメの声優らしい」程度の知識。マンガは読むものの、アニメは再放送されてたルパン三世とか一般的なものしか見てなかった私としては「アキバのディープなオタクたちが熱狂する世間一般からかけ離れた世界」的認識でした。
ググると椎名さんは1991年デビュー。
1992年、「花のあすか組!」のひばり役。(この漫画は実家の姉が読んでいたので見た事あり)
1994年、「魔法騎士レイアース」で獅堂光役。(今知りました。レイアースのOP曲で90年代アニメにハマったので感慨深い)
1995年、初ワンマンライブ。
1997年、声優初となる日本武道館コンサート。
というわけで1996年の彼女のイベントは、まさにこれから声優界からメジャーに駆けあがっていくという最も熱い時期だったと推察されます。
わたしはそんな事も知らずにのほほんと、小雨が降るなか駆けつけたファンたちを「この人らこんなマニアックなイベントに何が楽しいんだか...」みたいに思っていたのです。
色々検索したらファンサイトの「Our Dream goes on」様にてライブイベントのデータがありました。
1995-1997年あたりを見てみても私がバイトしたイベントらしきものは見当たらず...
野外の会場だったんですよね...学園祭ツアーってやつかな...
とりあえず、当時まさにこれから!っていう盛り上がりを察知して応援されていた皆様のセンスと今現在も輝き続けている椎名さんに乾杯って感じです。
椎名さんの曲、これから聞いてみたいと思います。
私とこのブログにつきまして
こんにちは、「90年代を懐古するブログ」です。
90年代のカルチャー、特にオタク・アキバっぽいものに焦点があたる感じです。
当時はそういうのって抵抗があって断片的にしか、うがった見方でしか接することができなかったのですが、今思うともっとどっぷりいってみたかったなと、淡い憧れの対象になっていることもあって、今更掘り下げたりもしたい感じです。
私は1992年に中学に入った年代でして、ちょっと前まで若者だったのにいつの間にやらこの年に。
んでこないだだと思ってた90年代がかなり古めかしいものになって、懐かしさと記憶の記録の意味でブログ書こうと思い立ったというわけです。
では宜しくお願いいたします。