中野まんだらけで吾妻ひでおを知る
1992年に中学に入学する者だと吾妻ひでおとの出会いって、吾妻作品が漫画雑誌にリリースされてたのって70年代とかなので時代がちょっとズレててまちまちなわけじゃないですか。
2005年に失踪日記が出た時以降から何度目かの吾妻ひでおブームというか、手に取る読者が増えてメジャー化したイメージですが、私個人で言うと90年代後半に中野まんだらけの中古本屋での出会いがありました。
というのもまずはルパン三世のカリオストロの城のポスターを手に入れたいって気持ちがあって、どうも中野にはそういうのがあるらしいというのを聞きつけて行ってみたわけです。
行ってみたらこんな店舗群があるのか、と。色々見てたら中古雑誌の中に、NHKのBSで見て熱中していた未来少年コナンの特集をしているアニメージュがありまして。
そうかここは昔の年代のモノが手に入る場所なのだなと強く意識し棚をじっくり眺めて回ってたら出会ったのが70年代に発行された吾妻ひでおのチャンピオンコミックスだったりしたわけです(あとは内山亜紀作品とか)。
当時の70年代のイメージって、手塚治虫からトキワ荘系、さいとうたかをなどの劇画系、あとは少女マンガくらいのざっくりした、「古臭いもの」って感じだったのですが吾妻ひでおのポップさは予想外で、こんな今見てもかわいいと思えるポップさを描く人がいたなんて、と衝撃でした。
しかもタイトルが「メチル・メタフィジーク」、買って帰りの電車の中であのまんだらけの黒いビニール袋から取り出して読んでみたら不条理ギャグ。なんと先進的な漫画家がいたものよ...!と思いました。
その後何冊か買っていくうちに、漫画として面白いというか漫画という手法で実験的な事をする感じの作家なんだなと漫画家とは違う位置づけで、どちらかというとサブカルの一アイコン的に思っていた所、失踪日記が出てちゃんと漫画としても面白かったのでやはりこのお方偉大だなと再認識した次第です。
あの丸っこいフォルムとSFの感じは初期うる星やつらの高橋留美子を彷彿させますし、2000年代に入って以降、自分のPCで「DAICON FILM」を知った時にもやはり当時の一つの日本アニメーションの礎を担った人なのだなと感じた次第です。
それにしても吾妻ひでおフォロワーってその後あまりいないなと思ったのですが、とりあえずSFってものが潰えてしまったというか、どうも90年代で剣と魔法のファンタジーとかの方がエロい描写と相性が良くて大多数になってしまったのが要因なのかなとふわっと思ったりします。