NHK BS2でアニメ見たからオタクになれなかった説
1992年に中学に入る者って朝タイムボカンとかやってた枠でアニメ見てたじゃないですか朝小学生時代に。
それ以外だと夕方の枠か日曜の枠とかがメジャーで、更に家にNHK BSがあるとBS2で衛生アニメ劇場を新聞で見つけて見だすじゃないですか。
ここが私の場合、人格形成の根幹になった説あるんですよ。
つまり少年ジャンプとかからいくといわゆる陽キャ的な、勇気元気友情、明るく元気に!みたいな精神性が良しとされるわけじゃないですか。
流れ的に子どもなりに漫画をよく読む者として野球漫画の「キャプテン」とかを私は愛読してたんですが、墨谷二中が勝ちあがる序盤辺りでデータ野球を仕掛けてくるチームがあって、とにかく勉強できて陰気でデータっていう人間性じゃないものを是とするって事で、データに拘り過ぎて負けるって描かれ方してて子ども心に
「こういうやつらは良くないんだな。もっと悟空みたいじゃないと」
って思ったわけでして。
かと言ってスポーツ青春明るく元気な、っていう陽キャが良しとされてもそれはそれでなんかきっついな、っていう。
そこに来て第三の路線として、知的好奇心にあふれる探検的な像っていうのがBSアニメにはあったわけです。系統でいうとアニマルプラネットとかディスカバリーチャンネル的な。
未来少年コナン、名探偵ホームズ、ガンバの冒険、ガジェット警部、ギャラクシーハイスクール、ニルスのふしぎな旅。
この辺りの、明るく元気と陰気でデータを合わせたような、気合と知的とコミカルさが混じったような、色合いでいうと「緑」って感じ。
バランスが取れた感じのちょうど良さ。
そういうのがしっくりくるわけじゃないですか。
スポーツができないわけじゃないけど、三国志も語れる、みたいな。
そういうのが中学入学前に根っことしてあったために、極端なまでに陰気(語弊かなりありますが)な世界に対しては「そういうのがあるのは一応知っておきたい。要点としてどういう傾向があるのかは頭に入れておきたい」ってスタンスで見てしまっていたがために、ざっと見て何となく分かった気になってしまった、というのが私なりの自己分析だったりします。
そういう表面的な自己形成はしょせん処世術的な向きもあるわけで、そんなの無視して思うがまま自分の無意識下の興味に忠実にディープにあれこれ手を出していてもそれはそれで楽しかったはずなのですが...